ALL OVER -33 授業中-
もう少しだけ。
あと少しだけ。
彼女に出逢うのが早かったなら、何か変わっていたんだろうか。
人生にifは通用しない。あるのは、今ある現実だけ。
それでも時々考える。
ねえ、奈奈サン。今からでも遅くないからさ。オレのこと、好きになる気、ない?
「はじめまして。織畑奈奈です」
いつもより念入りに掃除機をかけた居間。父ちゃんと母ちゃんの前で。
がっちがちに緊張して、その子がお辞儀するのを見て。
どこかで見たことがあったよな、としきりに頭を捻った。
その子はオレと同い年。
逢ったことあっても、不思議ではないんだけど。
しかも兄さんの現役教え子らしい。
……ってことは、同じ学校だよな。
確かに、なかなか可愛い子ではあったけれど。
化粧っけもなく、子供びた表情の彼女は、オレの完全守備範囲外で。
わかんなくてもしゃーないかな、と思ってた。
オレ、地味な子って、苦手なんだよね。
話続かねーし。
ってか、わりとこえー。
ナニ言っても本気で取られそうで。
そういうのって、鬱陶しいもんなー。
縛ったりとか縛られたりとか、そういうのはイラナイ。
が。
「お早う、安芸くん」
教室に入るなり掛けられた声に、オレは絶句するしかできなかった。
……よりによって隣の席、かよ。
オリハタナナさんは図書委員。
よく、放課後の誰もいない図書館で、兄さんと逢引してたらしい。
昨日イヤと言うほど聞かされた、兄さんののろけ話を思い出す。
「お早う、奈奈サン。いつもこんな早く来てるの?」
「ん。こんな……って、始業5分前だよ?」
「ああ、早いじゃん。今日のオレ、すげー」
たらたらと棒読みで言うオレに、奈奈サンは大きく吹き出す。
そのままけたけたと笑い出した。
あらま、割と笑い声、イイ感じ。
というより。
肩までの緩いウエービーヘア。
どんぐり眼を縁取る長い睫毛。
整った鼻梁。
出るとこは出て、引っ込むところはきっちり引っ込んだスタイル(特に、きゅっとした足首は、オレの好みに限りなく近い)。
(ひょっとしたら、この子、磨けば光るんじゃね?)
「ちょ、ちょっと、安芸くん? どこ行くの?」
あわてる奈奈サンの手を引っ張って。
「いいからいいから」
授業中の廊下を進む。
「まだ、授業ある……っていうか、まだ出席すんだばっかりだよ?」
人差し指を立てて振り返ると、奈奈サンは慌てて口元に手をやった。
連れ込んだのは美術準備室。
オレがよくサボってる場所。
「一体、何なの?」
しかめっ面の奈奈サンの顔を、両の手で挟みこむ。
しっかし、本当に何も――色つきリップすらしてないんだな。今時珍しく。
「ちょ、ナニするの!?」
「んー、ねえ、奈奈サン。男のオレが言うのもなんだけどさ。恋愛中の女の子が、眉毛すら整えないのは、どうかと思うんだ」
顔をはてなマークでいっぱいにしてる彼女にはお構いナシに、オレはメイク用具を取り出した。
「そんなもの、どこから……」
「ん? ああ、オレ、女の子のメイクすんの趣味なの。だから、ココにはいっつも常備してる」
ま、大抵はその後そのコも食っちゃうんだけどさ。
頭ン中で付け足して居る間に、眉の手入れは終わる。
それだけでも印象はがらりと変わった。
その後も奈奈サンはイロイロ言ってたけど。
オレはあんまり気にせずに、作業に没頭していた。
「できた」
手鏡を見せると、奈奈サンは目を白黒させていた。
「……ダレ?」
「ダレって、奈奈サンに決まってんじゃん」
とはいえ。
オレも奈奈サン以上に驚いていた。
磨けば光る、なんてもんじゃなかった。
オレは自分でも面食いな方だと思う。
それでも、今の奈奈サンよりきれいな子と付き合ったことはなかった。
さぞ喜ぶと思いきや。
「変なの」
奈奈サン鏡をどうでもいいもののように傍の机に置いた。実際どうでもよかったんだろうけど。
ちょこっと、イヤ、かなりプライドを傷つけられて、
「変って何だよ」
ムッとした口調で切り返す。
けれど、奈奈サンは涼しい顔で言う。
「だって、こんなことしたってしなくったって、私は私。中身が変わるわけじゃないもの」
「ね、奈奈サン、頑固だって言われない?」
「よく言われる」
ようやく破顔した彼女は。
とてつもなく強力に可愛かった。
「やべー」
それは、彼女が化粧をしたせいではないのは歴然としていて。
「ナニがヤバイの?」
問い返す彼女を直視することができなかった。
ちょっと待て。
今まで。キスだって、その先だって、何度だってしてきただろ?
だのに、顔を見るだけで、どうしてこんなに胸が騒ぐんだ?
……それが初恋だと気付いたのは、奈奈サンが完全に兄さんのものになってからだった。
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